2022-04

原点回帰

「正義」と言論の暴力

「正義」を振ふりり翳かざして相手を罵ののしったり、蔑さげすんだりする行為は、「言論テロ」と言ってもいいのではないでしょうか。日蓮大聖人の仏法に「破邪顕正」とありますが、これはあくまでも「相手を救いたい」「なんとか成仏して頂きたい」...
「偲ぶ」追悼文集

⑩生涯の友 篤子さん

篤子さんに初めてお目にかかったのは、高校3年生の夏でした。同級生の油座 ゆ ざ 順子さんが班長さんで、入信したばかりの私と区長の篤子さんに紹介してくださったのでした。 以来、20年間、嬉しい事も悲しい事も相談に乗って下さり、激励をい...
「偲ぶ」追悼文集

⑨私のめざす理想像 篤子さんへ 

篤子さんと初めてお会いしたのは、私が高校3年生2学期のことです。 磐女ばんじょの先輩、そして学会の女子部の区長さんとの事で、かほるちゃん、順ちゃんに誘われるまま、篤子さんのお宅へ伺い、色々お話を聞いているうちに、女性としての内からに...
「偲ぶ」追悼文集

⑧篤子さんへ

 あなたの訃報に接し、いつまでもいつまでも信じることができませんでした。いや、信じたくなかったのです。いま、ペンを持ちはじめて、それを実感しました。  りっぱなお母様に慈しみ育てられたあなたは、世にもまれな才媛に成長され、私たち友人...
「偲ぶ」追悼文集

⑦篤子さんの思い出

 成田篤子さんが、去る六月二十三日にお亡くなりになったという突然の報にびっくりいたしました。と同時に、栄えある第一六九部隊ーーー旧姓 斎藤篤子部隊長と共に戦いぬいた耀かしき青春時代の日々が、あざやかに思い出されます。   当時、私...
「偲ぶ」追悼文集

⑥篤子さんとの思い出

 私の入信は昭和三十五年五月、その年に当時区長でした斉藤篤子さんを知りました。  初めてお宅にお伺いした時、勝手がわからず、階段の下から恐おそる恐おそる「御免ごめんください。」と何度か声をかけたら、二階から「上がってらっしゃい。」と...
「偲ぶ」追悼文集

⑤あこがれの女性(ひと)

 過日、突然の悲報に心うろたえ、目の前が真っ暗になるのを覚えました。「こんな事があってもいいのかしら。」と信じられず、何度も何度も便りを読み返しました。  まぎれもなく、篤子さん、貴女様の死去の報、何年もお会いする機会はありませんで...
「偲ぶ」追悼文集

④篤子さんへ

 篤子さんが亡くなった事を、突然甘南備さんのお手紙にて知りました。まだ私たちとなんら変わらないお年なのに!  何故、何故・・・胸がえぐられるような気持ちです。私の信仰生活二十七年の中で、貴方様は忘れえぬ同志の一人であります。 ...
「偲ぶ」追悼文集

③人生の先輩にめぐり会えて

 高校卒業を間近に控えていた私は、性格的にも暗く、人間嫌いで引っ込み思案、そんな私を心配した母は、「すばらしい女子部の先輩がいるので、是非会わせたい。」と願っていたそうです。その母の一念が通じ、篤子さんに初めてお会いしたのが、昭和三十六年...
「偲ぶ」追悼文集

②「謹んで篤子さんに捧げます」

 篤子さんが重体である旨を伺ったのは六月二十三日の事でした。その時の驚きは身体の震えが止まらないほどでした。余りにも突然だったからです。篤子さんの優しい笑顔を思い出しつつ、快復を祈り続けておりました。しかし間もなく、辛く悲しい知らせを受け...
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