戦争ほど残酷なものはない。戦争ほど悲惨なものはない。

原点回帰

  今、現実にウクライナとロシアが戦争をしている。今から81年前、日本もアメリカに奇襲攻撃をかけてから、第二次世界大戦が始まった。ロシアのウクライナ侵攻も許し難い暴挙です。連日、何の罪もない一般市民が戦火に巻き込まれ、負傷し、命を落としています。ある学者の説によれば、今回の戦争はロシア正教会の哲学が根底にあると。現にキリスト教ロシア正教会トップのキリル総主教が今回のウクライナ侵攻に対して肯定的とも取れる認識を示しました。


  世界の歴史を紐解いても、戦争勃発の大きな要因の一つは宗教的イデオロギーからなる”絶対的正義”を主張し合うこと。とりわけイスラム教、ユダヤ教、キリスト教は旧約聖書の解釈の違いで成り立っている世界宗教。世界の多くの人々が信じているメジャーな宗教ですが、その正当性を主張するあまり、人を殺めることが正しいとしてしまう。神のためなら相手を殺したり自爆テロで自ら命を落とすことも厭わず、むしろそれこそ正義であり、相手をも救うことになると。

  彼らからすると自爆テロは残酷なことではありません。むしろ「ジハードによる殉教は自殺ではなく天国への直行ルート」と捉えています。我々からすれば残酷な無謀な“殺し合い”だが、彼らからすれば最善・崇高な行動をとっている感覚なのです。それだけ宗教というものは一つ間違えると死をも選ぶ野蛮な哲学であることを痛感せざるを得えません。


 「自分達が100%正しく、相手こそが完全に間違っている。相手は極悪だ。神に背いている。」と相手を悪と断定し、それを消し去ることこそが最高だと説く一神教の哲学が殺人をも正当化してしまう。なんと恐ろしいことでしょうか。

  仏教とは全く真逆の哲学です。なかんずく、法華経には「一切衆生 悉有仏性」と説かれております。一人の人間の生命こそ最高であり、生命の尊厳こそ最高の哲学であると釈尊は説いている。我々も今回のウクライナとロシアの戦争で目を覚まさないといけない。宗教のあるべき姿は、本来、人の不安を解消し、人々を安心させ、人に希望と勇気を与えていくものでなければなりません。

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