安田純平氏をお覚えているだろうか?
2015年、内戦状態のシリアにフリージャーナリストとしてシリア入りし、のちに武装勢力に拘束され、その映像がテレビで大きく取り上げられた。約3年4ヶ月ぶりに解放され、帰国した事が話題になりました。

その安田純平氏が先日、橋下徹氏の番組に出演していました。
帰国当時、多くの国民やメディアは安田さんに対し、「渡航禁止にもかかわらず自分勝手にシリアに入国し、拘束されたら「助けてくれ。」とはけしからん。」や、「帰国しても謝罪の言葉は一切ない。どういうことか。」等々、非国民的な扱いをされ、否定的な意見も多かった。橋下さんも当時は政治家であった事もあり、メディアの質問に対し、「国を上げての救済だったわけだし、帰国した時には一言、謝罪の言葉はあってもよかったんじゃないか?」と発言していました。
その橋下さんの発言を当時、テレビ等で知っていた安田さんだったが、番組に出演してくれた事に対し、橋下氏は「ほら、こうやってね、僕(橋下)の批判も見聞きしていながら、こうやってテレビにお越しいただいて、、。こう言う事なんですよ、政治の世界も国家間も。(それはそれとして毛嫌いせず、番組に出演してくださる。)」と、安田さんのテレビ出演に謝意を表し、歓迎していました。
番組の中で、橋下氏が、「当時、なぜ帰国した時にメディアの前で一言謝罪しなかったのか?」と問いかけると、安田氏は「シリアで解放された直後、政府関係者に、一番最初に謝罪したんですよ。『自らの行動でご迷惑をおかけしました。』と言うことと、『自身(安田)の家族も面倒を見てもらったと思いますので本当にありがとうございました。』と。」と釈明していました。続いて、「また、3年半に及ぶ拘束からやっと解放されて、基本的に捕虜や人質は興奮状態になっている為、会話が成立しないのが通常で、冷静な判断や発言はすぐにはできないんです。」とも説明していた。その安田氏の説明を聞いて、橋下氏はとても納得していた。「こうやって直接に説明されると納得する。」と言っていました。
この番組を見て、「直接対話の重要性」を改めて痛感しました。書面や画面を通してでは本当の意味での解決は程遠いなと。たとえ直接の対談であっても、すぐには解決に至らない。戦争状態や絶縁状態の間柄であればなおさらだ。何度も何度も会って、話し合って、お互いの誤解や思い込み、さらには行き違いなどを率直に話し、お互いの主張をぶつけ合って 解決するしかないとつくづく感じた。
日蓮正宗と創価学会も、半世紀に及ぶ摩擦が平成3年以降の紛争を産んでしまったのだが、日蓮大聖人様を唯一ご本仏と仰ぎ、同じ御本尊を信奉する立場として、積り積もったわだかまりや誤解、行き過ぎを真摯に協議し、膿を出し合って、互いの名誉やプライドをかなぐり捨てて、今再び”僧俗一体”となって「世界広宣流布」という共通の大目的に向かってし団結していく時だと思う。これ長年にわたって骨肉の争いをしてしまった両者だけに、それはそれは時間がかかるだろう。しかし、最高無二の仏法を持った両者だからこそ絶対に乗り越えられるし、また、乗り越えねばならない。
宗門と学会が”一体”となった時、世間のありとあらゆる邪宗教は恐れをなし、以前の批判以上に牙を剥いて襲いかかってくるだろう。しかしながら、我々の目的は世界の民衆に御本尊を流布し、個々の抱えている人生の悩みや苦労を取り除くことだ。学会と宗門が二人三脚でスクラムを組んだ時、宗教界の王者として「師子奮迅之力」を思う存分発揮することができるのです。
「日蓮正宗」があって「創価学会」も折伏を敢行でき大発展した。「創価学会」の出現があって「日蓮正宗・総本山」が再興し国内、世界にその名を轟かした。お互いがお互いの存在に最大限に敬意を表し、尊敬しあってこそ「異体同心」となります。「同体同心」でも「異体異心」でも「同体異心」でも広宣流布は成し遂げられない。どちらか片方では前進できません。両輪があって初めて前に進めます。