①篤子さんの思い出

「偲ぶ」追悼文集

 篤子様との思い出は尽きないのですが、お優しい笑顔でいつも私達を激励してくださった篤子様がお亡くなりになられたとはとても信じられないのです。

 出会いは私がまだ高校生の時でしたから、素晴らしい先輩にお会いできた喜びでいっぱいでした。学校の帰りにはお宅にお寄りするのが日課でした。ある時は勤務先の大阪造船(株)まで押しかけて行って指導を受け、とにかく一日一回会わないでいたらもったいない、、、、そんな思いだったのです。

 会社の帰りには足どりも軽やかに学会歌を口ずさみながら、にこにこして私達が待つ自宅に、元気にさわやかに”ただいま”とあの階段をかけ上がってくるのでした。

 今でもその声が耳もとに聞こえて来ます。御書をかかえてさっそうと活動に励まれたお姿も脳裏からはなれません。

 信心の上ではとても厳しい先輩、篤子さん、引っ込みじあんでいる私をいつも後ろから”今よ”、”話をしなさい”、”読みなさい” と、成長を期待されての毎日の激励行でした。

 平(たいら)の女子部員の憧れだった篤子さんは、また、婦人部からも”すばらしい部隊長”と尊敬もされて居ました。

 ご住職様の奥様になられました時には、どんなにすばらしい奥様におなりになる事だろうと、平(たいら)を離れてしまわれる寂しさよりも、心より祝福申し上げる心で一同いっぱいでした。

 篤子さんの生き方は本当に見事という一言に尽きると思います。それこそ篤子さんの口からは、”大変だ”という愚痴めいた言葉はひと事も聞かれませんでした。いつも前向きで、芯の強い、負けず嫌い、それでいてどこまでも奥ゆかしくて、女性の中の女性といえる全ての振舞いでした。

 今でもそのすばらしいお姿は平(たいら)の同志の胸の中に生き続けております。それだけに、どれほどご自分に厳しく一日一日を過ごされておいでだったのでしょうか・・・・。

 私たちの尊敬申し上げる篤子さまは、いついつまでも私達の先輩として、私たちの心の中で生き続ける事でしょう。

朝な夕な、ご冥福をお祈り申し上げております。

 

                        油座 順子 (旧姓 斎藤)

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