③人生の先輩にめぐり会えて

「偲ぶ」追悼文集

 高校卒業を間近に控えていた私は、性格的にも暗く、人間嫌いで引っ込み思案、そんな私を心配した母は、「すばらしい女子部の先輩がいるので、是非会わせたい。」と願っていたそうです。その母の一念が通じ、篤子さんに初めてお会いしたのが、昭和三十六年一月のことでした。美しくて聡明な、とても暖かい人にめぐり会えたことに、私はとても感激しました。

 自分を知ってくれる先輩にめぐり会えた事は、私の人生において、どんなに心強かったことか知れません。私は、このすばらしい先輩についていこう、そして何でも話せる、そういう自分になろう。と決意し、私の人間革命への第一歩が始まったのです。以来、私はたゆまず信心を持続して来れたと確信しております。

 篤子さんは力のない何の取り柄もない私を、いつも期待していて下さいました。平169部隊の部隊旗手にして頂いたり、沢山のとても貴重な訓練をしていただきました。篤子さんはあこがれの部隊長でした。女子部員の誰もが篤子さんみたいになりたい!と願っていたように思います。そして信心の確信は烈々たるものでした。

 私は篤子さんのもとで、こわいものがない位、本気で戦ってこれたと思います。

 篤子さんの信心の情熱と確信にふれて、沢山の女子部員が広布の人材に立ち上がりました。病気の友、経済苦の友等々、またある時はみんなで海に行って、、、大きな声で思いっきり歌を歌い、円座になって懇談をしたり、沢山の思い出をつくって下さいました。

 昭和三十九年のある日、私は篤子さんより「結婚が決まったのよ。」と聞かされた時には、ショックで、とても悲しくて悲しくて・・・。お別れの日、平駅までお見送りした時、あとからあとから涙があふれて来て、おさえようがありませんでした。以来、平の地へいらっしゃった時には、「なかなか温泉なんて泊まれないんだから。」と言って一緒に旅館に泊めていただいたり、かほるさんと二人で 浄円寺に遊びに行って、沢山の暖かいこころづくしをいただき、小山駅までお見送りをいただいたり、思い起こせばとてもなつかしいことばかり。

 いつも優しい美しい笑顔が心の中にいて安心しておりました。なのに、大きな心の支えを失った悲しみは、たとえようがありません。思えば甘えることばかりで、何の御恩もお返しできないままに、お別れすることになってしまいました。でも篤子さんより教えていただいた信心と思い出は、生涯消えることはありません。

厚田墓園の「篤子桜」が美しく咲きほこるように、私達も力の限り頑張りますので、見ていて下さい。

                           遊佐 洋子

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