篤子さんが亡くなった事を、突然甘南備さんのお手紙にて知りました。まだ私たちとなんら変わらないお年なのに!
何故、何故・・・胸がえぐられるような気持ちです。私の信仰生活二十七年の中で、貴方様は忘れえぬ同志の一人であります。
今から二十一年前、169部隊の区長として貴方様と共に戦わせていただいた事は生涯忘れることはないでしょう。
ほっそりとした姿で常に笑顔を含み、自己にはそうとう厳しくされていましたね。また、お母さんと共に相当生活も苦しかったのではないかと思います。その苦労が部隊長として指揮をとる中で、いつも重みのある指導の中で生かされた私は、いつも貴方様の「心の財」の豊かさを感じたものでした。 折があったら一度お会いしたいと思って居りました。残念です。本当に残念です。
子供さんの事、ご主人のこと、さぞ心残りだったことでしょうね。私にも三人の子供がいますので胸がいたみます。
四十三才、余りにも短い生涯でしたが、きっと自己にも厳しく対された貴方様ですから、生活の上でも、信心の上でも、壮絶な戦いの日々であったと思います。 また、尊い日々の中で更賜寿命 の実証を示されたことでしょう。
御書に「人身は受けがたし爪の上の土 人身は持ちがたし 草の上の露 百二十まで持ちて名を腐して死せんよりは 生きて一日なりとも名をあげん事こそ 大切なれ」とありますが、貴方様の生きざまをまのあたりにする思いがします。
厚田墓園の一番すばらしい所に、池田先生より篤子桜を植樹していただいたとの事、胸が熱くなります。最後の最後まで戦われた姿のなにものでもありません。
桜の見事に咲きほこる日に厚田墓園を訪ね、篤子桜にお会いしたいと思います。
どうぞ安らかに。
伊藤 好子(旧姓 田村)