「正義」と言論の暴力

原点回帰

https://diamond.jp/articles/-/237426

「正義」ふりかざして相手をののしったり、さげすんだりする行為は、「言論テロ」と言ってもいいのではないでしょうか。日蓮大聖人の仏法に「破邪顕正」とありますが、これはあくまでも「相手を救いたい」「なんとか成仏して頂きたい」と思う大慈悲からなります。どこまでも純粋に、真摯に相手の幸せを願うが故に、「邪論じゃろんを破してしょうきょう教を顕す」、即ち伝えていく。「極悪と闘えば自動的に極善になる」なんて言う論理はどこにもありません。「破邪顕正はじゃけんしょう」も「抜苦ばっく与楽よらく」も責任は全て「自分自身」にあります。相手をののしって、嘲笑ちょうしょうして「ざまみろ」と言う論理は「外道」の論理です。

御義口伝にある「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」は、相手の悪を滅するのも、相手の生命に善を生じるのも、全てこちらの相手を思う大慈悲からの行動です。相手の命の”邪義”を信心で根気強く取り除き、同時に相手の”仏界”を涌現させる労作業で初めて“功徳“と言う熟語になります。

ロシアのウクライナ侵攻もロシア政権自身の主張のみを正当化し、”正義”と称して横暴な権力を振りかざし、相手を根絶やしにする行為は、世界から非難されています。当然のことです。日蓮大聖人様の仏法は人々の命に宿る”仏界”を気づかせ、生命を蘇生させ、人々を元気に、笑顔にできる唯一無二の法であり、その根本が御本尊様です。「十界互具一念三千」の崇高な法門からみれば、誰にも一人残らず”仏界”も”三悪道”の生命もあります。

平たく言えば、誰にも使命があるし、誰にも欠点がある。その相手の”仏界”をひたすら信じ抜いて但行礼拝たんぎょうらいはいするのが「不軽菩薩」の実践のはずです。相手がどんなに悪人でも、その人を救っていく一念がなければいけません。日蓮大聖人様が権力者や邪宗の高僧らに讒言ざんげん悪行あっこう雑言ぞうごん”された”事は御書の中に示されています。一方で大聖人様が大聖人様を迫害する人達をののしったり、嘲笑ちょうしょうしたりする御文はどこにもありません。むしろ、大聖人様御自ら「過去世の法華経誹謗の謗法の故」と自信を戒められている。

これが大聖人様究極の仏法であり、「不軽菩薩の行」であると考えますが皆様はいかがでしょうか。

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