私の母が四十四歳で急逝した事を聞いた、母の女子部時代のご友人の皆様が、「偲ぶ」と題して文集を作って下さいました。本当にありがたい限りです。せっかく書いて頂いたので、皆様に読んでいただきたいと思い、お載せさせて頂く事にしました。よかったら読んで下さい。
はじめに
私達の先輩であり、青春時代の最高の友人であった篤子さまが六月二十三日にお亡くなりになられましたことに対して、ここに深く哀悼の意を表すると共に、生前どれほど多くの同志が、篤子さまのほほえみに勇気づけられたことか、感謝の言葉もありません。
私は少しく篤子さまとはおつきあいをさせていただいておりましたので、篤子様死去の報を身近の友人におはなし致しました。誰もが信ぜずただ ぼう然とするばかりで、そして一様に篤子さまのすばらしい青春時代の戦い ”平(たいら)一六九部隊長” の思い出を語り続けてくださるのでした。今なお、篤子様を慕い、尊敬し続けて居る 多くの同志の声をここにまとめることができました。ありがとうございました。
なお、小冊子作成にあたり、皆様にお送りしました「お手紙」の原文そのままを写させていただきますことをご了承下さい。
拝啓
盛夏の候 皆々様にはますますご健勝の事とお喜び申し上げます。
過日は戸田先生の出獄記念日を迎え、又 初めて福島の地で本部幹部会が開催されるなと意義深き七月、皆さまにおかれましては広布推進の㐧一線で見事なるご活躍をなさっておる事と存じます。
さて、すでにお聞き及びのことかと思いますが、私達の先輩であり、姉妹の如く青春時代を共に広布の庭で戦って来られました 成田篤子様(旧姓 斎藤)が去る六月二十三日お亡くなりになりました。余りにも悲しい突然の報にただ ぼう然とするばかりで、虚脱感が全身をつきぬけてゆく思いです。
二十八日のご葬儀は会長のご名代として、館岡副会長が見えられ、多くの同志の見守るなかで厳粛な中にも、生前の篤子様の優しさと偉大さがそこかしこにしのばれる見事な葬儀でした。
若き日のあの毅然たる指揮の中にも、常に笑顔を絶やさなかった篤子さんでしたが、檀家の皆様の弔辞にもございましたが、笑顔と優しさがどれほど多くの人々に喜びを与え慕われておったか筆舌に尽くせぬものでした。
私は篤子さんが亡くなられる一週間前にご住職様からお電話をいただき、初めて篤子様 ご病気の事を知りました。飛ぶような思いで病院を訪ね、篤子さんにお目にかかりました。遠い意識の中でも「かおるですよ。」との私の呼びかけにも、美しい瞳を大きく見開かれて何度も何度も応えて下さいました。「お元気になられて女子部時代の事を語り合いましょうね。」とお約束しながらも胸がいっぱいになり、思わず涙がこぼれてしまいました。
病室を辞して、浄円寺にお寄りしました数時間の間にも、篤子さんの全快を祈って本堂の御本尊様に唱題に来られる同志の方々が、ひきもきらず、それだけに心強い思いで帰宅いたしました。
かくも多くの同志の方達の唱題の渦の中で、何の苦しみもなく、眠るが如く静かに息をひきとられた篤子さんの福運はいかばかりかと涙にむせぶばかりです。
ご住職様より伺いましたお話の中に、十二月に手術をされて再入院された四月、篤子さんはご住職にむかって、「もう十分尽くしてまいりましたので、これで死んでもよろしいでしょうね。」とおっしゃったそうです。本当に篤子さんらしい、いえ篤子さんだからこそ言い得た言葉であったと思いながらも、胸のつまる思いでどうしようもありませんでした。
四十三才という余りにも若き生涯でしたが、どんな方をも暖かく優しく包み込んでしまわれた篤子さんの一瞬一瞬一日一日は、それだけ自己にどれほどか厳しく対された生き方であったでしょうし、私達の数倍に匹敵するような、激しく燃焼しきった尊い日々であったと思うのです。
そして青春時代の数年間に、私達多くの女子部に信仰の何たるかを身をもって教えて下さったと同じように、今私達に、仏法者として、人間として、女性としての生き方を教えて下さったのではないかと思えてなりません。
御書に「三世の諸仏の御本意に相い叶い 二聖・二天・十羅刹の擁護を蒙むり 滞り無く上上品の寂光の往生を遂げ 須臾の間に、、、、、自在神通の慈悲の力を施し広く衆生を利益すること滞り有る可からず」とありますが、永遠の生命を確信すると共に、篤子さまの素晴らしさが日が経つにつれて光ってゆく思いがするのです。
ご親戚の叔母さんが「篤子は二十一世紀に何か使命があったのでしょうね。それに合わせる為に急いだのでしょう。」と声をつまらせておっしゃった言葉が私の耳からはなれません。
ところで、過日お忙しいなか、ご住職さまよりお電話をいただきました。
北海道指導に行っておられる池田先生が、篤子さんの名を永遠に留める為に、厚田墓園の一番すばらしい所に「篤子桜」を植樹して下さったとの池田先生のご伝言とお写真が届いたとのお電話でした。
厚田墓園に行った折には是非寄ってやって下さい。とおっしゃるご住職様の言葉には、篤子様を心から愛され誇りとされ、慈しまれるお心があふれており、ただただ感激でした。私達にとってもこれ以上の喜び、栄誉はないと思います。私はこの感激を一人留めおくには余りにももったいない思いが致し、平の地で当時を共に過ごした多くの皆様にも是非お知らせしたくペンをとった次第でした。
そして出来る事ならこの機会に篤子さんとのふれ合いの中で築いた、沢山の思い出等を何らかの形で残し、永遠に語り伝えられたらと思い立ち、出過ぎた事を承知の上で皆さんにご提案方々お願いする次第です。
原稿は歌・詩、作文等、形にはまらず、軽い気持ちで「篤子さんの思い出集」みたいな形の小冊子をまとめ上げたいと思います。毎日お忙しい中、本当に大変かと存じますがよろしくご協力くださいますよう よろしくお願い申しあげます。
皆様のご健康とますますのご活躍を心よりお祈り申し上げます。
敬具