過日、突然の悲報に心うろたえ、目の前が真っ暗になるのを覚えました。「こんな事があってもいいのかしら。」と信じられず、何度も何度も便りを読み返しました。
まぎれもなく、篤子さん、貴女様の死去の報、何年もお会いする機会はありませんでしたが、いつかはお会いできる日がある。今はお元気にご活躍の事でしょうと、学生時代の事を思い出す度に貴女様の事を懐かしく思い起こしておったのです。それなのに・・・・。
貴女様は私の青春のあこがれでした。毅然とした姿勢、そしてその微笑み、それは誰をも暖かくつつみこむ優しさをもっておりました。貴女のひと言は私の胸奥をふるわせ、いつも涙があふれてしまうのでした。何を言われても新鮮な感動となって響くのでした。
中学生の時、東北の体育祭出場の選手を選ぶために、ある小学校の校庭で 夕方練習をしたのです。スタートラインの所で一緒に並んだ篤子さんは、無我夢中で走る私達に向かって、「部隊長も一緒よ。先生も見てるのよ。」と真剣な激励をしてくださったのです。今でもその声を忘れる事はできません。
また、こんな事もありました。高校受験が真近くなったころ、「どこを受けるの? どこの高校に決めたの?」と聞かれたのです。自信がなく、当時迷っていた私に、「磐女を受けなさい。受けるのよ、ネ。」「絶対合格するのよ。」と強い激励をして下さいました。
不安と迷いがふっきれた私は、晴れて磐女に合格、そして平に知り合いの居ない私の保証人にもなって下さり、最高の誇りある高校時代を過ごすことができたのです。
私はいつも将来はあのような女性になりたいと心ひそかに思っていたのです。夢多かりし青春時代のあこがれ、そして現在の私の信心の礎を作ってくださった方、”平169部隊長、斎藤篤子さん”。
悔やんで惜しいのは、あの時のお礼と現在の報告をご健在の時に出来なかった事。再会できぬ寂しさはペンを持つ今もふつふつとあらたな涙となって湧いてまいります。 でも貴女様から教えていただいた様々な事を、生涯忘れることはないでしょう。
末筆ながら、また新しい生命で広布の庭に、あのさわやかな微笑みをそそがれる事を切望し、ペンを置きます。
ありがとうございました。
生目田 冨美子