⑨私のめざす理想像 篤子さんへ 

「偲ぶ」追悼文集

篤子さんと初めてお会いしたのは、私が高校3年生2学期のことです。

磐女ばんじょの先輩、そして学会の女子部の区長さんとの事で、かほるちゃん、順ちゃんに誘われるまま、篤子さんのお宅へ伺い、色々お話を聞いているうちに、女性としての内からにじみ出るしとやかさ、人を思いやる優しさ、その中にある芯の強さ・・・。

私に持ち合わせていないものばかり。”私もこの様に素敵な女性になれるものなら一生懸命信心しよう、人間革命をしよう、この人について行こう” とその魅力にとりつかれ、女子部の一員となりました。

あたたかくも厳しい訓練・勤行・折伏・個人指導・教学と・・・。あれから二十余年、今でも入信動機はと聞かれると、「先輩に素晴らしい方がいまして、その人の様な女性になりたかったから。」と答えています。

でも、性格はなかなか変わらず、やはり梅は梅、桜は桜の良さがあるし、私の良い性格がどんどん表面に出て、悪い性格が抑えられる様になりました。なかなか篤子さんの様には性格上、無理な事がわかってきましたが、折伏の時はいつも篤子さんの事を思い浮かべて友達に話しています。

そんな矢先、あまりにも突然な篤子さんの訃報に、まさかと我が耳を疑いました。ただただ茫然とするしかない私でした。すぐ御本尊様の前にすわり、在りし日の篤子さんを思い浮かべて題目をあげました。

心が落ちついてくると、感謝のお題目を唱えておりました。篤子さんに出会っていなかったら、現在の私の幸せはなかったかもしれないと思えてなりません。

篤子さん、本当にありがとうございました。二十一世紀には、またそれぞれの立場で戦い、お会いできることを願ってペンを置きます。いつか厚田墓園の”篤子桜”に会いに行きます。

「ほこりも高き わが先輩の 名をばとどめん 篤子桜に」

小島 栄子(旧姓 猪瀬)

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