を振り翳して相手を罵ったり、蔑んだりする行為は、「言論テロ」と言ってもいいのではないでしょうか。日蓮大聖人の仏法に「破邪顕正」とありますが、これはあくまでも「相手を救いたい」「なんとか成仏して頂きたい」と思う大慈悲からなります。どこまでも純粋に、真摯に相手の幸せを願うが故に、「邪論を破して正教を顕す」、即ち伝えていく。「極悪と闘えば自動的に極善になる」なんて言う論理はどこにもありません。「破邪顕正」も「抜苦与楽」も責任は全て「自分自身」にあります。相手を罵って、嘲笑して「ざまみろ」と言う論理は「外道」の論理です。
御義口伝にある「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」は、相手の悪を滅するのも、相手の生命に善を生じるのも、全てこちらの相手を思う大慈悲からの行動です。相手の命の”邪義”を信心で根気強く取り除き、同時に相手の”仏界”を涌現させる労作業で初めて“功徳“と言う熟語になります。
ロシアのウクライナ侵攻もロシア政権自身の主張のみを正当化し、”正義”と称して横暴な権力を振り翳し、相手を根絶やしにする行為は、世界から非難されています。当然のことです。日蓮大聖人様の仏法は人々の命に宿る”仏界”を気づかせ、生命を蘇生させ、人々を元気に、笑顔にできる唯一無二の法であり、その根本が御本尊様です。「十界互具一念三千」の崇高な法門からみれば、誰にも一人残らず”仏界”も”三悪道”の生命もあります。
平たく言えば、誰にも使命があるし、誰にも欠点がある。その相手の”仏界”をひたすら信じ抜いて但行礼拝するのが「不軽菩薩」の実践のはずです。相手がどんなに悪人でも、その人を救っていく一念がなければいけません。日蓮大聖人様が権力者や邪宗の高僧らに讒言や悪行雑言”された”事は御書の中に示されています。一方で大聖人様が大聖人様を迫害する人達を罵ったり、嘲笑したりする御文はどこにもありません。むしろ、大聖人様御自ら「過去世の法華経誹謗の謗法の故」と自信を戒められている。
これが大聖人様究極の仏法であり、「不軽菩薩の行」であると考えますが皆様はいかがでしょうか。